モデル生物と呼ばれる、集中的に解析が行われている生物種では、必ず遺伝子発現や表現型の基準となる標準系統や野生型系統が決められている。アサガオでは伝統的にムラサキが用いられてきており、近年、東京古型も野生型の標準系統として使われることが増えてきた。特に後者はゲノムプロジェクトの材料として用いられていること、日本産系統のほとんどで内在のトランスポゾン(Tpn1 ファミリー)が活性化しているが、転移が起こっていない点でゲノムが安定に保たれていると考えられ有用である。
他のモデル生物と比べて、日本産のアサガオはその遺伝的背景を無視できるくらいに均一である。その理由として、(1)高度な自殖によって結実する植物であり、一年草のため数百世代以上の自殖を経て均一化している。(2)起源地である熱帯アメリカから遠く離れた日本で園芸化され、他の作物や花き園芸植物で見られるように起源地からの変異の再導入がなされていない、(3)奈良時代に日本にアサガオが導入されてきた際の数量も限られており、かつ、(4)江戸時代にトランスポゾンの転移が活性化した系統の子孫から突然変異が多発したと考えられ、この段階で再度ボトルネック効果による均一化が起こっている。
東京古型は、江戸期にトランスポゾンの転移活性化が起こらなかった子孫に由来すると考えており、他の変異系統との間のSNPを利用したマッピングが期待される。
来歴:標準系統として日本だけでなく、海外でも広く用いられている系統。生理学分野において、京都大学の今村駿一郎にはじまる花成(花芽の分化)研究に用いていたことから標準系統として広く用いられるようになった。今村は、京都大学の教授(後に国立遺伝学研究所)であった木原均の育成していたred とvioletという系統の1つを入手したと記載している。このvioletという系統は、木原均が易変性変異の研究に用いていた雀斑系統の復帰変異株に由来すると考えられる(木原;1934)。木原は紅色の雀斑系統(mg pr a3-f)から実験をスタートしており、このa3-fが野生型への復帰変異を起こしたものが、red(mg pr)で、加えて、prが復帰したものが、violet(mg)であろう。そのため、ムラサキは表4の中程にある、紫色品種、または濃紫色品種に相当すると思われる。木原は論文中で、紅色の花には紫色の條斑が入ると述べ、彩色された第1図にも紅(mg pr)に暗紅(mg)のセクターが入った図を示している。暗紅(mg)は単塩基置換変異のため安定であり、紫(pr)はTpnの挿入によって誘発されているため不安定で、しばしば野生型に復帰するため、木原の言う、紫色(violet)とは、今で言う暗紅(magenta; mg)を指していることは間違いないと思われる。
実際に、ムラサキのA3(DFR-B)遺伝子には、雀斑(a3-f)変異を過去持っていた証拠である、挿入しているTpn1が離脱した際にできたフットプリントも存在するという(星野私信)。
現在では花成だけでなく、様々な生理学研究に用いられている。ここまで利用されるようになった理由は、京都の種苗会社である丸種が種子を生産・販売したことで研究者が利用しやすかったことも大きい。しかし、自殖した種子を提供していた京都大学の篠崎眞輝の退官を機に2010年ごろに販売が中止された。そのため、九州大学では閉鎖環境で自殖種子を増殖し、福花園(三重県)に委託増殖を行い、研究者に提供している。
表現型・特性:下の東京古型と比べて、器官が大型で丈夫である。野生型系統ではなく、花色に関して、暗紅色(magenta; mg; 原因遺伝子はF3’H)変異を持っている。アサガオの基本的な花色変異として、この暗紅の他に紫(purple; pr)があるが、持っている変異と系統名が一致しない点に注意が必要である。葉形に関しては、蜻蛉葉(dragonfly; dg)を持っている。dg変異は未同定であるが、この変異により基部先端部軸方向に器官が伸長し、これが花の曜にも同様に働くことで、大型の花(アサガオの花のサイズでは中輪に分類される)や葉を付ける。栽培も容易で丈夫な系統である。1回の短日条件で多く個体は花芽を分化するが、他の日本産系統と比べて特に短日条件に鋭敏というわけではない。
これらの暗紅(mg)と蜻蛉葉(dg)のマーカーによって、自然交雑を起こした株は野生型になるため区別が付く点は東京古型と比べて優れている。ただし、暗紅、蜻蛉葉変異は園芸品種が普通に持っている変異であるため、マーカーが保持されているからと言って絶対的に信頼はできない。そのため、九州大学では閉鎖環境(網室)で採種し、この種子を業者に委託し、隔離された圃場で栽培・増殖を行っている。提供に際して、交雑の可能性が全くない網室で採種した種子が必要な場合はその旨指示して欲しい。
易変性・トランスポゾン:転移酵素(TnpA)の転写産物をモニターすることにより、内在のトランスポゾン(Tpn1ファミリー)の転移は続いていると考えられ、その証拠にムラサキ由来のいくつかの自然突然変異が知られている。そのため、世代を経るごとにトランスポゾンの転移によって系統が均質でなくなる可能性があるため、注意が必要である。
参考文献:
木原均(1934) 朝顔の一「雀斑」品種の遺伝研究. 植物及動物(養賢堂) vol. 2 1801-1814.
荒木崇(2009) 日本アサガオのムラサキ株と花成生理学の発展. 日本植物生理学会50周年記念誌. 71-73.
夏期の閉鎖環境(網室)で栽培しているムラサキ
来歴:国際遺伝学会議におけるアサガオ展示および戦後のアサガオの系統保存に多大な功績を残した、国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の竹中要が、典型的な野生型だと考えられる系統を東京の下町で見つけ、何代も自殖を繰り返した系統。国立遺伝学研究所では、1065という系統番号で維持されており、これが九大に移管された後、Q1065と命名した。遺伝研から移管した系統は、来歴を明らかにするため基本的には同じ系統番号を維持している。代表機関では閉鎖環境で増殖しており、ある程度の数量は確保している。星野らによって始めらたアサガオのゲノムプロジェクトのDNAやRNAサンプル(すべて単一個体由来)としても用いられている。
表現型・特性:花色、葉形ともに野生型。葉形は並葉、常葉、三尖葉等よばれる野生型葉形であり、花色は単純には青色、園芸的には納戸色と呼ばれる。花冠の中央部の花筒は紅紫色に着色しており、世界各地の自然集団由来系統(エコタイプ)は花筒は無着色(白色)であることから、アントシアニンが強発現していると考えられる。ただし、日本産系統では筒が着色する形質(園芸上、筒汚れとよばれる)は普通に見られる。花の萎れに関してはムラサキが他の園芸品種と同様に、夏期でも午前中くらいは比較的花弁がしっかりしているのに対し、東京古型では色の退色、萎れがやや早い。ただし自然集団由来のエコタイプよりも萎れは遅い。他の特徴として、発芽当初の子葉は赤みが強く、日数が経つと赤味が薄れ緑色になる。この形質も日本産系統ではしばしば見られ、前述の世界各地のエコタイプでもしばしば見られる。
ムラサキと比べると花や葉、種子が小型で、やや脆弱な印象があるが、栽培や採種に問題はない。特徴的なマーカーを持たないため、蕾の先をしばって採種、閉鎖環境で栽培する等自然交雑に気をつける必要があるが、交雑株では雑種強勢により株が大型、生育が旺盛になるため多く場合区別が付く。
易変性・トランスポゾン:日本産の園芸品種でよく転移しているトランスポゾン(Tpn1ファミリー)の転移酵素(TnpA)の転写産物をモニターすることで、ほぼ完全にサイレンシングされている。このことはゲノムプロジェクトでも転移酵素のRNAが得られないことからも示されている。従って、長期間の自殖とも相まって均質なゲノムを維持することができている系統で、ゲノムプロジェクトの材料に用いられた理由でもある。他の日本産系統とはほぼ同じ塩基配列を持つが、東京古型特有のSNPが希に見つかる。このことは、日本のほとんどアサガオ品種は、江戸期にTpn1ファミリーの転移が活性化した(単一)系統に由来しており、東京古型は活性化しなかった系統の子孫である可能性を示唆している。
来歴: 花芽の分化(花成)がが早いことから生理学研究によく用いられている。同属のサツマイモは熱帯植物の特性を強く残しており、日長感受性が鈍く低緯度地方以外では花芽を分化させるのが困難である。そのため、ある程度の葉つけた段階でキダチアサガオを台木に用いた接ぎ木(高接ぎ)を行い、台木からのFTの産物(フロリゲン)の移行を起こさせ花芽を分化させる方法が開発され、現在広く用いられている。ムラサキ同様、京都大学に由来するとされているが、詳細は調査中である。
表現型・特性:野生型ではなく、花色では、紫(purple; pr:原因遺伝子は液胞のpHを調節しているイオン輸送に関わるInNHX1遺伝子)、覆輪(Margined; a3-Mr: DFR-Bの優性アレル)変異を保持している。シュートの性質に関する変異として、木立(dwarf; dw)を持っており、これが名前の由来ともなっている。節間がつまり、地植えでも1mを越えない。花芽の分化も早く日本の夏至前後の日長条件でも花芽が分化するが、日長依存的な経路ではなく、黄葉系統等でも見られるような生育抑制による自律的経路の花芽誘発が起こっているからだと考えられ、他のdw変異を持つ系統も例外なく早咲きである。ちなみに園芸的には、この変異は“こだち”と読んでいる。他のdw系統にも見られるように、本葉がやや長くなり、花弁も丸くない星咲きになる傾向がある。dw変異の原因遺伝子はまだ明らかになっていないが、ジベレリンの噴霧で復帰することからジベレリンの生合成に関わる経路の変異の可能性がある。
つるが短くからまないため、維持管理がしやすいが、花柱が短いことや矮化の影響で稔性が低いことが難点である(ただしdw変異を持つ系統の中では稔性は最も高い部類である)。
易変性・トランスポゾン:日本産アサガオでは現在のところ、唯一、転移酵素をコードしているTpnA2がDNAの再配列等を起こしており、転移酵素(TNPA)の転写産物も検出されない。そのため、このTpnA2の位置する領域(第3染色体、MAPLE遺伝子近傍)を導入すると内在のTpnトランスポゾンの転移を抑制することができ有用である。現在、このTpnA2欠損のマーカーを作製するために構造解析を行っている。 ちなみにこの系統の持つpr変異はTpnの挿入アレルであり、多くの系統で復帰変異を起こしているが、そう言われればこの系統では野生型の青色に復帰した株やセクターのある株は出現しない。