不定期にアサガオ関連の情報を載せていきます。関連するページに貼ったコラムをここにまとめています。
第三次ブームの先駆けを為し、変化朝顔(浪速蕣英会では、奇生花とよんでいた)だけでなく大輪朝顔の発展にも多大な貢献をした、吉田宗兵衛氏(秋艸園)は次のような歌を詠んでいます。
「面白の千筋に分けて流れけりもとは一つの谷川の水」
(浪華蕣英会雑誌5号 明治44年、1911年)
吉田翁がアサガオを栽培を始めた当初は、江戸期から残存していた系統はそれほど多くはなかったと思いますが、これらを集め、愛好会を盛り上げていくうちに、数え切れないほど多様なアサガオの品種が増える様を目の当たりにしたのだと思います。栽培を通して、たった1種類の(青い)アサガオがこんなに変化を遂げたのだということを実感し、感嘆した思いを詠んだのでしょう。欧米で育種された多くの園芸植物は、複数の原種を用いており、種間雑種によるバリエーションも増やしていますが、たった1種類の原種からここまで多様性に富んだ品種(変異)がある園芸植物は世界的にもアサガオくらいです。
なお、吉田秋艸園の現在でも残る功績で大輪品種の育成以外では、鍬形千鳥葉を「蝉葉」と命名、行灯仕立ての考案なども挙げることができます。2016/5/7
アサガオはメンデルの法則の再発見以降、遺伝学の実験材料として利用され、最初の論文は1916年の日本育種学会会報、第1巻に2報の論文が掲載されたのが最初です。 ちなみに、この日本育種学会は現在の日本育種学会ではなく、1920年に設立された日本遺伝学会の前身です。外山はカイコを使って日本で初めてメンデル則の研究を行ってことでも良く知られています。以下のリンクをクリックするとオリジナル論文(PDF)を見ることができます。
2016年は、大阪(大坂)で最初の朝顔図譜、花壇朝顔通が出版されたのが、文化12年(1815年)、江戸で最初の朝顔図譜、あさかほ叢が出版されたのが文化14年(1817年)です。ざっくり言えば、アサガオブームが始まって200周年の年になります。最初の学術研究が始まって100周年の年でもあり、アサガオ界では100年ごとに大きなイノベーションが起こっていくのでしょう。 さて今年はどんなことが起きるのでしょうか。そうです、あれしかないですね。2016/5/7
左図:花壇朝顔通に載っている「八ッ橋」(今で言う、雀斑または時雨絞の立田)