アサガオの栽培は、江戸時代の文化文政期に第一次ブームを迎えた。このころから木版多色刷りの朝顔図譜が刊行さ れ始め、第二次ブームの嘉永安政期には、より複雑な突然変異体を含む図譜が多数出版された。この時期、江戸入谷の植木屋である成田屋留次郎が重要な役割を 果たしている。他にも朝顔の品評会(花併せ)の番付表もいろいろ出版されていたようだ。
科学的研究に関して、突然変異体の遺伝学的解析の結果は1916年に外山や竹崎らによって最初の論文として出版された。その後もほとんどが日本人科学者、特に、今井・萩原両氏によって精力的に研究され、対立性検定や連関群の調査、連鎖地図の作製等が行われ戦前だけ で、150報に及ぶ、英語・邦文・ドイツ語の論文が出版されている。
アサガオはメンデルの法則の再発見以降、遺伝学の実験材料として利用され、最初の論文は1916年の日本育種学会会報、第1巻に2報の論文が掲載されたのが最初です。 ちなみに、この日本育種学会は現在の日本育種学会ではなく、1920年に設立された日本遺伝学会の前身です。外山はカイコを使って日本で初めてメンデル則の研究を行ってことでも良く知られています。以下のリンクをクリックするとオリジナル論文(PDF)を見ることができます。