TOP> Horticulture> Higo

肥後朝顔

左から常磐山(瑠璃色無地)、老松(濃茶色無地)、春月(桃色無地)

来歴

 肥後朝顔は花弁数が増加する洲浜変異(retracted; re)を持つ、熊本で保存されている一連の品種群である。熊本は古来、園芸の盛んなところで、肥後六花と呼ばれる、肥後椿・肥後芍薬・肥後花菖蒲・肥後朝顔・肥後菊・肥後山茶花について独自の品種群を育成している。肥後朝顔もその一つであり、起源は恐らく大輪朝顔と同じで、江戸後期に出現した洲浜系統が九州に渡り、熊本で栽培されていたものに由来すると考えられる。米田によると、肥後細川家では重賢霊感公の時代の明和2(1765)年に「草木うつし」が出版されていて、朝顔6品が写生されているが、全部常葉であり、細川家の家老であった八代市の肥後松井家を訪れ、文化・文政期以降に作成されたと思われる朝顔絵巻を調べたが、洲浜葉を持つものは見つからなかったと言う(米田2006)。幕末のころの細川藩士の文書には現在の司紅(つかさべに;青斑入洲浜葉紅筒白)に酷似した系統が記載されているという記録もあり、明治の文献にしばしば登場する薩摩種と呼ばれていたものも洲浜だったようである。大輪品種の元になった洲浜品種も黒田(福岡)に由来するように、幕末から明治にかけて九州では洲浜は比較的広まっていたのかもしれない。
 明治32年(1899)に肥後涼花会が発足し、昭和15年には会員180名にも及んだが、その後の第二次大戦や昭和28年の大水害で系統や記録が記録する散逸する。しかし、幸いなことに徳永据子氏によって品種が保存されており、昭和36年(1961年)に肥後朝顔涼花会が復活した。系統の純粋性と厳格な栽培方法を守って現在まで系統の保存活動を行っている。一時は鎌倉に支部が作られたこともあったがすぐに解散し、他の肥後六花の伝統として、会員以外に品種が流通することを禁じている。展示会は初夏と秋に、それぞれ水前寺公園と事務局のある熊本市立博物館で開かれている。

栽培

 肥後朝顔を特徴づける栽培方法は、”小鉢本蔓一幹作り”または行儀作りと呼ばれる。縦長の塗り鉢である 小代焼の植木鉢に植えて、本蔓を伸ばし草丈は鉢の高さの3倍程度に抑え、本葉5〜7枚目までに第一花を咲かせ、第三花まで鑑賞するというものである。その後は大きめの鉢か地植えにして採種される。 本来、花芽分化をさせる上で不利だと思われる青斑入洲浜葉の品種に早く花芽を付けるために、砂利状の礫を多く配合した培養土で貧栄養、潅水制限をして作っている。それでも開花時には子葉が付いたままのものが良いとされうまく仕立てるのは難しい。

品種

 全ての品種に共通な変異は洲浜(re)、斑入(v1)、筒白(tw)であり、これに加えて紫(pr)、暗紅(mg)、白(青軸; 未同定)、柿(dy)、吹雪(a3-Bz)、淡色(efp)、濃色化(i)等の色彩変異を持つ品種が保存されている。葉は青斑入洲浜葉(裂片の先が尖ったものは千鳥葉と呼ばれる)で花は中輪花を咲かせる。特に花筒は白く大きく抜けた陽光抜けと呼ばれるものだけが鑑賞される。吹雪(a3-Bz)は園芸上、吹雪(細かな斑点)、縞(縞状の斑)を表現するが、肥後ではそれぞれ絣、縞と呼ばれ、どちらかに固定したものに品種名をつけている。花冠の全部ではなく一部に模様が入るものが良いとされる。しかし縞と絣が混在したり、同一個体でも縞の多い花と絣の多い花が出ることがある。
 初代会長の田代晶よると、雪神橋(紅色地に白絣)殿上人(小豆色地絣)、佐野の渡(鼠色地絣)の3品種が肥後朝顔の元祖で、これから21品種(涼花会朝顔培養法; 明治41)が育成されたという。徳永氏が戦後まで保存していた品種は、司紅、龍田川、春月、藤衣、殿上人、御狩宿、松月、磯千鳥、天の原、老松、高砂、法衣の12品種である。その後、紫衣、松風、小倉山等が育成されて品種数を増やしている。以下の表に比較的最近の文献に出てくる品種をまとめたが失われているものや、失われているが縞や絣が入ってすぐに再現するものも含まれている。

品種名 よみ 花色 花色遺伝子型 注釈(米田2006の記述に基づく)
白波 しらなみ 白色無地 [white] 明治39(1906)年の涼花会規則に追加された8品種の中に名前がある。胚軸は青軸ではなく、淡く着色することが多い。
松風 まつかぜ 青色無地 WT 昭和49年(1974)年の記録にある。
松月 しょうげつ 青色地に白縞 a3-Bz 明治36(1903)に空色に白縞、明治41(1908)年の涼花会朝顔培養法にも記載がある。肥後朝顔の品種には無地のものと、それに白縞や白絣(吹雪)模様が入るものがある。「松月」では縞の発現が強い。
磯千鳥 いそちどり 青色地に白絣 a3-Bz 「涼花会朝顔培養法」(明治41(1908)年)の末尾に当時の肥後朝顔21品種の名前があり、「磯千鳥」の名前がある。
磯打波 いそうつなみ 極淡青色無地 efp-2 明治36(1903)年の涼花会規約に名前が出ている。Morita et al. (2014)によるとefp-2のアレルを持っている。
天の原 あまのはら 空色無地 [lt] 未同定の淡色化変異
天廼川 あまのかわ 空色地白縞 [lt] a3-Bz 村山(1977)に記載されている。
常磐山 ときわやま 瑠璃色無地 i 明治41年(1908)年の記録では瑠璃無地としている。濃い瑠璃色花冠と筒白のコントラストが美しい。中村城太郎が明治36(1903)年に「園芸界」に出した肥後朝顔13品種に含まれている。
御狩宿 みかりのやど 瑠璃色地に白縞白絣 i a3-Bz 明治41(1908)年の記録に瑠璃地に白縞と出ている。
老松 おいまつ 濃海老茶無地 dy mg i 明治36(1903)年の涼花会規約に名前が出ている。
宇治川 うじがわ 濃海老茶に白縞 dy mg i a3-Bz 村山(1977)
宇治時雨 うじしぐれ

濃海老茶に白絣

dy mg i a3-Bz 村山(1977)
高砂 たかさご 淡海老茶色地に白縞 dy mg a3-Bz 大正7(1918)年に記録があり、無地、斑点入り、白縞入りなどの説明がある。肥後朝顔の手引き(2004)では淡茶色に白縞とある。
枯野雪 かれののゆき 淡海老茶色地に白絣 dy mg a3-Bz 枯野の雪とする文献もある。肥後朝顔の手引き(2004)では淡茶色に白絣とある。
淀川 よどがわ 茶移白地に濃海老茶縞 dy-new allele or dk-m? 村山(1977)
時雨傘 しぐれがさ 濃茶色地に淡茶縞 dy-new allele? or dk-m? 村山(1977)
法衣 のりごろも 黒無地 dy i 明治36(1903)年の涼花会設立当初の記録がある。肥後で言う黒とは黒鳩色のことである。
岩清水 いわしみず 黒地に白縞 dy i a3-Bz 明治36(1903)年の記録があり、明治41(1908)年の涼花会記録に黒色に白縞と記載されている。
岩戸雪 いわとのゆき 黒地に白絣 dy i a3-Bz  
岩越波 いわこすなみ 黒地に白大縞 dy i a3-Bz  
佐野の渡 さののわたり 鼠色に白絣 dy a3-Bz 肥後朝顔の始祖3品種の一つ。
小倉山 おぐらやま 小豆色無地 mg i 昭和49(1974)年の品種一覧表に出ている。
殿上人 でんじょうびと 小豆色地に白絣 mg i a3-Bz 明治39(1906)年の涼花会規約の追加8品種に名前がある。肥後朝顔の始祖3品種の一つ。
春月 しゅんげつ 桃色無地 mg pr  
春の川 はるのかわ 桃色地に白縞 mg pr a3-Bz  
春の雪 はるのゆき 桃色地に白絣 mg pr a3-Bz  
司紅 つかさべに 紅色無地 mg pr i 明治36(1903)年の肥後朝顔涼花会規約に名前があり、百年以上も受け継がれ、鑑賞されてきた。展示会ではその鮮やかな紅色で最も目立つ品種である。prが復帰すると小倉山に変化する。
龍田川 たつたがわ 紅色地に白縞 mg pr i a3-Bz 文献によっては立田川とあるが、奈良の紅葉の名所だとすると龍田川か。prが復帰すると殿上人に変化する。
新龍田川 しんたつたがわ 紅桃色地に白縞 mg pr a3-Bz 村山(1977)に記載されている。
雪神橋 せっしんきょう 紅色地に白絣 mg pr i a3-Bz この品種は明治41(1906)年の涼花会朝顔培養法に、「養老出雲神橋」の名前で極紅の白絣として出ており、肥後朝顔の始祖3品種の一つ。
藤川 ふじのかわ 藤色に縞 pr a3-Bz この品種は明治36(1903)年の涼花会規約にある17品種に名前の記載があるが、明治41(1908)年の涼花会朝顔培養法に藤色に白縞と記載されている。藤の川とする文献もある。
藤衣 ふじごろも 藤色に絣 pr a3-Bz  
紫衣 むらさきごろも 紫色無地 pr i 戦後の育成品種で、昭和49(1974)年に全日本朝顔連盟総会が熊本で開催された時の記録に、初めて名前が出てくる。

 

 

2012年9月熊本市博物館にて(クリックすると拡大します)

 

花が一定の角度で咲いているのが分かる。開花前日に花の咲く位置や向きを調整すると言う。

 


水前寺公園 古今伝授の間にて(2012年7月)

参考文献

村山豪(1977)原色朝顔 つくり方と鑑賞(渡辺好孝編) 、農学図書
肥後朝顔涼花会編(2004)肥後朝顔の手引き、肥後朝顔涼花会
米田芳秋(2006)色分け図鑑 朝顔、学研
外山正男(2012)肥後朝顔作り. 朝顔百花(朝顔百花編集委員会編)、誠文堂新光社

 

 

Page Top