アサガオの生理学
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アサガオ花成生理学

 「花成生理学概論」では花成生理学一般について述べたが、ここではアサガオを対象に絞って、アサガオ固有の花成生理学を述べる。

花成研究におけるアサガオの名前

 アサガオの学名には従来からPharbitis nilとIpomoea nilの二通りが用いられて来たが、最近ではIpomoea nilを採用する研究者が多い。しかし、アサガオの研究で主要な位置を占める花成生理学ではPharbitis nilの名が定着しており、Ipomoea nilを採用している文献はごくまれである。英名はJapanese morning gloryで、Ipomoea purpurea(マルバアサガオ)のcommon morning gloryと区別するが、最近では、単にmorning gloryの名をP. nilに当てることが多い。花成生理学でよく使われるアサガオの品種、‘ムラサキ’や‘キダチ’は、それぞれ‘紫’と‘木立’である。これらの品種名は漢字書きをしてもよいが、花成生理学ではカタカナ書きするのが一般である。‘木立’は「こだち」とも読まれるが、花成生理学では「きだち」と読んでいる。英文では、それぞれ、‘Violet’、‘Kidachi’と書かれる。

アサガオの花成研究の歴史

 植物生理学の創始者と呼ばれるドイツのJulius Sachs(ザックス)は、1800年代後半に、植物の種々の器官形成にはそれぞれ特異的な器官形成物質が関与するとの考えを述べている。ザックスの提唱した器官形成物質の一つに花を形成させる物質がある。ザックスは、植物の一部を光を通さない容器で覆い、一部の葉のみを光にさらしても、光の当たらない部分に花が咲くことを示し、光の下で葉で作られる花形成物質の存在を仮定して、この事実を説明した。この種の実験にはアサガオの仲間が材料に用いられている。ザックスが花形成物質の概念を提唱したのは、イギリスのCharles Darwin(ダーウィン)が光屈性の実験を行ったのと同時代のことである。ダーウィンによる光屈性の研究は次の世代の研究者達によって発展して行き、オーキシンの発見に至った。一方、ザックスの花形成物質の概念は後のフロリゲンに相当するが、このような物質の存在は今日に至るも証明されていない。
 現代的な意味での花成の研究は、1920年の、アメリカのW. W. Garner(ガーナー)とH. A. Allard(アラード)による光周性の発見に始まる。初期の花成の研究は、植物の光周反応性と特定の緯度の地域における日長時間との関係から、その植物の生育、分布を議論するような生態学的研究が主であった。やがて、1930年代に、アメリカでJ. Bonner(ボナー)やK. C. Hamner(ハムナー)が植物生理学的な観点から光周的花成の研究を開始し、ソ連(当時)ではM. Kh. Chailakhyan(チャイラヒャン)がフロリゲン説を提唱した。わが国では、東北帝国大学の吉井義次による光周性の研究が1925年に発表され、吉井の門下である中山至大(後に宮崎大学)はアサガオを研究材料として、活発な花成研究を展開した。しかし、中山の論文は、多くの場合、大学の紀要など、入手しにくい雑誌に発表されたため、今日、その業績を伺い知るには困難を伴う。一方、1930年代半ば頃から、京都大学の今村駿一郎が花成研究を始めた。今村とその門下は、初めは種々の植物を研究材料としたが、やがてアサガオに対象を絞り、活発な研究を開始した。アサガオの花成研究の歴史はここに始まると言って良い。
 研究材料に何を選択するかが、その後の研究の進展に大きく影響することがしばしばある。ボナー、ハムナー、チャイラヒャンらがオナモミ、シソ、タバコ、キクなどを主な研究材料としたのに対して、今村はアサガオを研究材料に選んだ。アサガオは大変敏感な短日植物であり、花成研究には好適な材料であった。今村がアサガオを選んだことが、その後の花成研究の発展に大きく寄与することとなった。
 今村が花成の研究を始めたきっかけは、今村の師、郡場寛からガーナーとアラードの研究を紹介されたことにあったらしい。その当時、時代は第二次世界大戦に近づきつつあり、国内では食糧の増産が急務となっていた折りから、サツマイモの品種改良が進められていた。サツマイモは大変花をつけにくい植物で、交雑育種が困難であったことから、農学分野ではサツマイモに花を咲かせる方法が種々考えられていた。その一つに、アサガオを接木する方法があった。アサガオを接木したサツマイモが容易に花を咲かせるという話を聞いた今村は、この現象に興味を持ち、サツマイモの開花の研究を始めた。しかし、今村は、すぐにアサガオの開花の方へ研究を転じた。こうして、アサガオの花成の研究が始まったのである。初期の研究では、‘ムラサキ’、‘テンダン’、‘キダチ’など、数品種が用いられた。これらの中から‘ムラサキ’が選ばれ、以後、研究は主に‘ムラサキ’を材料として進められて来た。現在ではこの品種は世界中で使われている。
 今村によるアサガオ花成研究の成果は、1941年の日本植物学会で最初に発表された。1949年からは瀧本敦が共同研究者として加わり、1953年に二人の共著として第1報が報告された。以後、アサガオの花成研究は今村とその門下の瀧本、和田清美(静岡大学)、小川幸持(三重大学)らを中心に進められた。1967年には、今村の退官を機に、それまでの知見を集大成した”Physiology of Flowering in Pharbitis nil"が日本植物生理学会から出版された。アサガオを材料とした花成研究の基礎を築いて来た研究者には、今村とその門下、上述した中山の他に、太田行人(名古屋大学)、原田宏(筑波大学)らがいる。今日、アサガオの花成研究に携わっている研究者の多くが、これらの先達から直接または間接的に影響を受けた人々である。


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